青木地区にも看板が登場!
2017年12月30日
やばい道・小渋線編
12月29日、崩落事故が起きた小渋線が仮復旧しました。
30日、仮復旧後の小渋線を走ってみました。
ここに取材に行くのも、
家族には「危ないからやめとけ」と言われました。
これが崩落現場。まだ土砂は完全に撤去されていません。
15日には開通していなかったトンネルを急きょ13m掘り進み開通。
残り13mで発破をかけたがために、
JRは1000人の住民の生活を犠牲にしました。
踏切事故で電車を止めると高額の損害額を請求する鉄道会社。
JR東海は、認知症の男性がはねられて死んだ事件で
720万円の損害賠償を遺族に請求しています。(最高裁でJR側敗訴)
まさか住民の損害を「その程度のことは」なんて言うことはないでしょう。
JRは斜面にクラックが走っていたというのを認識していたのでは、
という指摘があります。
この事故の過失の程度は、損害賠償の額を左右するのはあると思います。
JRは発破は適切、見張りがいなかった、と言っています。
本当でしょうか。
発破は不適切、見張りもいなかった、なら過失の程度も違ってきます。
長野県はJRに調査を丸投げしました。
全体のスケジュールはどうだったのか、
作業員の聞き取りはどの程度するのか、
職員の配置は適切だったのか、
十分な予算がかけられていたのか、
安全対策はどうなされていたのか、
この場所に設計したのは適切だったのか、
そもそも工期は十分だったのか、
などなど、検証すべきことはたくさんあるはずです。
長野県に聞くと、調査報告書は公表するようにJRに言うということです。
県が関与して第三者の調査をすべきという指摘をわざわざ無視して
JRに調査を丸投げしたことについて、
「これでまた事故が起こったら長野県の違法性は高まりますね」と
担当者に釘を刺しておきました。
現在、現場は3人の誘導員が配置されており、
トンネルの中にも1人います。
誘導する場所は、3月に土砂崩れがあった場所なので、
作業員にもあまりうれしい場所とは思えず、
ぼくが写真をとっている最中にも
石が落ちる音が「パラパラ」としていました。
JRはいずれ左側のもとの道を仮復旧させて
通させると言っていますが、崩落現場の斜面の真下を通る
ということになります。かなり怖いです。
土木の専門家は、周囲にクラックが走っていたとするなら、
元の道はもう通れないと考えた方がいい、と言っていました。
その辺もきちんと調べてほしいものです。
村営バスも走っています。
中はこんな感じの異空間。
通常作りかけのトンネルの中を走るということはなく、
この仮復旧作業も突貫工事だったことが想像できます。
トンネルをくぐるとそこは元ヤードだった。
それで掘削機が置いてあります。
出口の反対側。
このトンネルは今回崩落したトンネルの入り口に作業場所がないため、
作業用に中間部から掘り入れたところで、完成後は使わなくなります。
今回の事故で、
「あんなにどんどん進んでいて大丈夫なのかと思っていたら
やっぱり事故った。
拡幅工事もきわどいやり方をしている個所があって、
これからそこを通るときに、ただただ怖い」
という感想がありました。
ぼくたちはモルモットではありません。
やばい道・岩洞編
12月15日の小渋線全面通行止めで、
大鹿村民1000人は、村外に出るのに
専ら岩洞を通るしかなくなりました。
この道には、大鹿側に8つの橋があり、
急きょ、道路管理者の県がチェックし、
一応「大丈夫」という説明でした。
ですが、一部の橋は一見して老朽化しています。
バン線で止めてあって、急きょ県が「立入禁止」の線を引きました。
なにせ建設は昭和38年
36災の2年後、今年54歳の橋です。
コンクリートの耐用年数ギリギリ。
あまり通行量が多くない道なので、
指摘されるまで県は放置してたということです。
今回の事故で、何人かに聞き取りをしました。
心配する村外の子どもに、「危ないから来なくていい」
と言うお年寄りがいました。
もちろん、事故後村外に出なくなったお年寄りもいます。
とんだクリスマスプレゼントだったわけです。