大鹿村に移り住む
今年9月、20年暮らした国立を離れ、長野県南部、大鹿村に移住した。移住したのはプライベートな理由だ。とはいっても、2012年から4年間、大鹿村に通って、そこで人のつながりもできてきていたので、まったく見ず知らずの場所ではもはやない。通っていたのはこの村にリニア中央新幹線の路線が通り、その取材のためだ。
新しい自宅のある場所は、標高900mほど。高尾山より高い。自宅から南アルプスの峰が見える。大鹿村は長野県南部の日本一大きい盆地、伊那谷を流れる天竜川岸から車で30分ほど。支流の小渋川沿いの狭い道を「この先村なんてあるのか」と不安になりながら溯っていくと、ぽっかりと斜面に家々が散らばった村が広がり、目の前に赤石岳がそびえる。東京からは中央道松川インターまで新宿からバスで4時間。人口1000人余の小さな村だ。
伊那谷の中心都市の飯田は日本の10万人都市の中で、東京から一番「遠方」なのだという。だから長野新幹線で東京と近くなった長野県北部と比べて「南北格差」があり、伊那谷の自治体はリニア新幹線を熱烈誘致してきた。ところが最近、トンネル掘削に伴い大量に発生する残土や、それを運ぶためのダンプ公害、水枯れ、沿線の用地買収と、リニア新幹線の問題が次々と明らかになるにつれ、住民だけでなく、自治体もリニア新幹線への警戒感が高まってきている。
ぼくが移住したのは、そんな時期にあたる。引っ越した当日、9月7日は、JR東海が村で行なった住民説明会の開催日にあたり、ぼくも出席して、早速住民として発言した。
取材のきっかけ〜リニアの問題点
ぼくが村を訪れたのは、大学で上京して山岳部に入り一年目の秋、先輩に連れられて南アルプスの荒川岳を小渋川から上ったのが最初だ。小渋川から登る道は、川沿いに何度も徒渉を繰り返すワイルドな道で、登山道を通る登山しか知らなかったぼくにとっては新鮮な体験だった。先輩の一人は「よくこんなところに人が住んでるなあ」と谷間から家々を見上げてつぶやいた。それがリニア南アルプストンネルの前線の工事現場となる釜沢地区であり、ぼくの住む上蔵(わぞ)地区は、南アルプストンネルが渓谷を渡るため、一瞬地上部に出る場所にあたる。
村を取材しはじめた2012年当時は、仕事をよくもらっていた山の雑誌で、度々この件についてニュース欄で取り上げられていた。その路線が南アルプスを通過するルートに決まった時期にあたる。山梨の実験線で行ったり来たりの実験を繰り返し、ときどき磁界が切れる事故も起こしていた超電導リニアが、実用化するなんてまともに信じている人なんてどのくらいいただろう。夢の技術は、原発事故で超巨大技術の安全神話が悲惨な形で崩壊するのを見せられたぼくたちにとっては、前世期の時代遅れな妄想に過ぎないと直観的に思う。
しかし山屋としては、横断する人工物のなかった南アルプスにトンネルを掘削されるというのは大問題で、当時村として意見書を出したりもしていた大鹿村に取材で訪れたのだ。住民たちは2年も前からこの問題に取り組んでいた。リニア新幹線の予定ルートはほかにも2本あったが、3本のうちの1本、南アルプスルートに路線が決まったのを村長室に住民の一人が聞きに行ったとき、村長もまた「自分も新聞で知った」と言ったという。「民主主義じゃないところで夢のような話が進んでいる」とインタビューした一人は感想を述べていた。
リニア技術というのは、コイルを直線状に伸ばし、磁石の吸引と反発の力を利用して車体を浮上、推進させることを言う。絶対0度に近い極低温にすると電気が永遠に流れ続ける技術をリニアに応用したのが、超電導リニアだ。時速は500kmで片道1時間で東京―大阪を結ぶ。全線約9兆円の予算を見込んでJR東海が全額自己負担で賄い、東京(品川)―名古屋間の2027年開業を目指す。アベノミックスの土建屋救済策で、リニアも国策として推進され、すでに2014年には認可がなされている。
最近ではJR東海を対象に財政投融資をし、大阪までの前倒し開業をしようという議論もある。JR東海はドル箱の東海道新幹線を抱えているとはいえ、そもそも儲かっているなら新幹線を値下げするか、地方のローカル線を活用した地域振興策に取り組むのが、国鉄を引き継いだ公益企業の役割だろう。ところが控えめに見ても「金持ちの道楽」としか建設は映らない。
というのは、必要性自体がかなり曖昧なのだ。鉄道というのは沿線の発展がその大きな役割だ。しかしリニアは遅いと意味がないので、なるべくなら中間駅で止まりたくない(鈍行は1時間に1本)。東京―名古屋―大阪を一帯化してメガリージョンを創出するというのが建設の目的だが、実際には東海道新幹線ができたときのように、東京一極集中がさらに加速され、沿線の住民も都会に吸いだされるだろう。老朽化した東海道新幹線の新調のために二重系化し、来たるべき東海・東南海・南海の巨大地震時にはバイパスになるというが、わざわざ路線を新しく敷かなくても東海道新幹線は新調できるし、巨大地震の震源域はリニアの路線にもあたっているので、まったく意味がない。どう見ても夢見すぎだろう。
「第二の原発」〜安全神話と情報隠し
超電導技術は新幹線の3倍とも言われる過剰な電気を使うため、そんな効率の悪い技術を営業路線で活用するのが本当に可能かという疑問もある。当然原発の再稼働も前提になる。リニアの実験線ができたとき、柏崎刈羽と結ぶ50万ボルトの送電線が建設されている。リニアのために再稼働しないと、あるいは、経済の起死回生のために原発を動かしリニアを走らせようという議論にもなりかねない。実際、JR東海の会長の葛西敬之は再稼働やむなしという発言をしていたし、にもかかわらず社長の山田佳臣はリニアだけでは「ペイしない」と発言している。戦前の関東軍の首脳もこんな心理だったのではないだろうか。
原発も海外に売りこむために再稼働しないといけないし、リニアも同様に営業路線が必要というのも共通している。
何より、「安全神話と情報隠し」という点で、リニアは「第二の原発」とも言えるほどの推進のされ方をしてきた。
時速500kmのリニアが遠隔操作で運転手がいないというのを知っているだろうか。トラブル時は「多重の防護」で緊急ブレーキが働くという。どこかで聞いた話ではないだろうか。過剰な電力消費は過剰な電磁波も生む。シールドをしようと思えば鉄で覆う必要がある。鉄で覆えば重くなりまた電気を使う。当初は軽さを追求するため強化プラスチックが車体に使われ、実験で磁界が切れる事故で炎上した。磁界切れを防ぐためにはまた電気がいるし、燃えない車体にすれば重くなるのでまた浮かせるために電気がいる。リニアは在来の鉄道で培った技術が応用できないまったく新しい技術なのだ。欠陥を過剰な電力でクリアすることができたとして、矛盾は残る。そもそもそんなエネルギー過多の技術が売りこめるのかという問いに戻る。
リニアの路線は86%が地下だ。南アルプスに限らずいくつもの活断層を横断していく。ずれが生じれば一発でアウトだ。トンネル内で立ち往生しても、南アルプス部分での非常口では最大370mの標高差がある。助かった最大1000人の乗客が3人程度の乗務員に誘導され、無事地上にたどりつけるのか。地上部分は、夏は洪水、冬は雪崩の巣になる山の中だ。
そんないくつもの問題点を登山の雑誌で指摘すると、JR東海の広報部から、1度目は13カ所、2度目は5カ所のクレームが入った。どうでもいい嫌がらせで、編集部にも複数人で押しかけて資料を置いていく。実際それで週刊朝日やスパなど週刊誌はリニアの記事をやらなくなり、書けなくなったフリーランスもいる。キオスクに置けなくなれば、というのはかなりのプレッシャーだろう。「資金が尽きたらJALのように税金が投入されかねない」と書いたら、自社負担でやるというのを聞いていないのか、と広報部から何度もクレームが入り、言い返すとまた絡んできて終わらない。実際は固定資産税を自分から無心して免除してもらっているし、財政投融資も拒否することもなく喜んでもらっている。プライドのかけらもない甘ったれ、かつ悪質な企業体質と言える。
南アルプスとリニア
そんな中、こういったフェアでない乗り物を消費者は選ぶべきではないと、登山者に呼びかけて反対アピール、ボイコット運動を始めた。わずか2カ月で1200人余が賛同署名を寄せてくれた。辺野古との共通点で言えば、山梨県側の建設を請け負うのは辺野古と同様大成建設だ。もともと日清日露戦争で明治政府に銃を売りさばき、財をなした大倉喜八郎が作ったのが大成建設だ。その際大倉は静岡県側の南アルプスの山林を買い取り、それが東海特種製紙の前身の会社だ。そこにリニアが通る。自分の土地をグチョグチョいじってれば金になる仕掛けだが、南アルプスは国立公園でもある。一私企業のいいようにしてみんなの財産を壊されてはたまらない。
ところが大規模な自然破壊が予想されるのに、アセス自体は3年もかけていない。国土交通省はJR東海のやることだからと安易に認可を出し、いまだに調査されていないところの調査をJR東海はやって辻褄を合わせている。住民への説明も、質問を一人3問に限り、時間内で打ち切るというやり方を認可前はしていて、住民の怒りを買っていた。今も「理解と同意を得る」と言いつつ、「理解したかどうかは事業者が決める」と横柄な態度で住民の怒りが募っている。協定も結びたがらない。そうしないとできない事業だし、裁判になれば負けるから、というのが地質学者の見解だった。
「止めないとたいへんなことになる」と反対する側は声を挙げているが、なかなか外には伝わらない。見過ごされがちな問題、どころか、国が沈むほどの大問題に運動が追いつかない、というのが実態だろう。すでに南アルプストンネルは山梨側では着工、長野側でもJRが着工に向けて強行姿勢を崩さない。にもかかわらず、出て来た排出度の置き場は長野県ではどこにも決まっていない、と穴が多い。この計画は、ぼくたちが声を挙げれば必ず止められる事業だ。しかし声を挙げなければ、原発同様悲惨な結果が待っているのも、知れば知るほどまた事実である。
(宗像充『沖縄の怒りと共に』98号)
今年9月、20年暮らした国立を離れ、長野県南部、大鹿村に移住した。移住したのはプライベートな理由だ。とはいっても、2012年から4年間、大鹿村に通って、そこで人のつながりもできてきていたので、まったく見ず知らずの場所ではもはやない。通っていたのはこの村にリニア中央新幹線の路線が通り、その取材のためだ。
新しい自宅のある場所は、標高900mほど。高尾山より高い。自宅から南アルプスの峰が見える。大鹿村は長野県南部の日本一大きい盆地、伊那谷を流れる天竜川岸から車で30分ほど。支流の小渋川沿いの狭い道を「この先村なんてあるのか」と不安になりながら溯っていくと、ぽっかりと斜面に家々が散らばった村が広がり、目の前に赤石岳がそびえる。東京からは中央道松川インターまで新宿からバスで4時間。人口1000人余の小さな村だ。
伊那谷の中心都市の飯田は日本の10万人都市の中で、東京から一番「遠方」なのだという。だから長野新幹線で東京と近くなった長野県北部と比べて「南北格差」があり、伊那谷の自治体はリニア新幹線を熱烈誘致してきた。ところが最近、トンネル掘削に伴い大量に発生する残土や、それを運ぶためのダンプ公害、水枯れ、沿線の用地買収と、リニア新幹線の問題が次々と明らかになるにつれ、住民だけでなく、自治体もリニア新幹線への警戒感が高まってきている。
ぼくが移住したのは、そんな時期にあたる。引っ越した当日、9月7日は、JR東海が村で行なった住民説明会の開催日にあたり、ぼくも出席して、早速住民として発言した。
取材のきっかけ〜リニアの問題点
ぼくが村を訪れたのは、大学で上京して山岳部に入り一年目の秋、先輩に連れられて南アルプスの荒川岳を小渋川から上ったのが最初だ。小渋川から登る道は、川沿いに何度も徒渉を繰り返すワイルドな道で、登山道を通る登山しか知らなかったぼくにとっては新鮮な体験だった。先輩の一人は「よくこんなところに人が住んでるなあ」と谷間から家々を見上げてつぶやいた。それがリニア南アルプストンネルの前線の工事現場となる釜沢地区であり、ぼくの住む上蔵(わぞ)地区は、南アルプストンネルが渓谷を渡るため、一瞬地上部に出る場所にあたる。
村を取材しはじめた2012年当時は、仕事をよくもらっていた山の雑誌で、度々この件についてニュース欄で取り上げられていた。その路線が南アルプスを通過するルートに決まった時期にあたる。山梨の実験線で行ったり来たりの実験を繰り返し、ときどき磁界が切れる事故も起こしていた超電導リニアが、実用化するなんてまともに信じている人なんてどのくらいいただろう。夢の技術は、原発事故で超巨大技術の安全神話が悲惨な形で崩壊するのを見せられたぼくたちにとっては、前世期の時代遅れな妄想に過ぎないと直観的に思う。
しかし山屋としては、横断する人工物のなかった南アルプスにトンネルを掘削されるというのは大問題で、当時村として意見書を出したりもしていた大鹿村に取材で訪れたのだ。住民たちは2年も前からこの問題に取り組んでいた。リニア新幹線の予定ルートはほかにも2本あったが、3本のうちの1本、南アルプスルートに路線が決まったのを村長室に住民の一人が聞きに行ったとき、村長もまた「自分も新聞で知った」と言ったという。「民主主義じゃないところで夢のような話が進んでいる」とインタビューした一人は感想を述べていた。
リニア技術というのは、コイルを直線状に伸ばし、磁石の吸引と反発の力を利用して車体を浮上、推進させることを言う。絶対0度に近い極低温にすると電気が永遠に流れ続ける技術をリニアに応用したのが、超電導リニアだ。時速は500kmで片道1時間で東京―大阪を結ぶ。全線約9兆円の予算を見込んでJR東海が全額自己負担で賄い、東京(品川)―名古屋間の2027年開業を目指す。アベノミックスの土建屋救済策で、リニアも国策として推進され、すでに2014年には認可がなされている。
最近ではJR東海を対象に財政投融資をし、大阪までの前倒し開業をしようという議論もある。JR東海はドル箱の東海道新幹線を抱えているとはいえ、そもそも儲かっているなら新幹線を値下げするか、地方のローカル線を活用した地域振興策に取り組むのが、国鉄を引き継いだ公益企業の役割だろう。ところが控えめに見ても「金持ちの道楽」としか建設は映らない。
というのは、必要性自体がかなり曖昧なのだ。鉄道というのは沿線の発展がその大きな役割だ。しかしリニアは遅いと意味がないので、なるべくなら中間駅で止まりたくない(鈍行は1時間に1本)。東京―名古屋―大阪を一帯化してメガリージョンを創出するというのが建設の目的だが、実際には東海道新幹線ができたときのように、東京一極集中がさらに加速され、沿線の住民も都会に吸いだされるだろう。老朽化した東海道新幹線の新調のために二重系化し、来たるべき東海・東南海・南海の巨大地震時にはバイパスになるというが、わざわざ路線を新しく敷かなくても東海道新幹線は新調できるし、巨大地震の震源域はリニアの路線にもあたっているので、まったく意味がない。どう見ても夢見すぎだろう。
「第二の原発」〜安全神話と情報隠し
超電導技術は新幹線の3倍とも言われる過剰な電気を使うため、そんな効率の悪い技術を営業路線で活用するのが本当に可能かという疑問もある。当然原発の再稼働も前提になる。リニアの実験線ができたとき、柏崎刈羽と結ぶ50万ボルトの送電線が建設されている。リニアのために再稼働しないと、あるいは、経済の起死回生のために原発を動かしリニアを走らせようという議論にもなりかねない。実際、JR東海の会長の葛西敬之は再稼働やむなしという発言をしていたし、にもかかわらず社長の山田佳臣はリニアだけでは「ペイしない」と発言している。戦前の関東軍の首脳もこんな心理だったのではないだろうか。
原発も海外に売りこむために再稼働しないといけないし、リニアも同様に営業路線が必要というのも共通している。
何より、「安全神話と情報隠し」という点で、リニアは「第二の原発」とも言えるほどの推進のされ方をしてきた。
時速500kmのリニアが遠隔操作で運転手がいないというのを知っているだろうか。トラブル時は「多重の防護」で緊急ブレーキが働くという。どこかで聞いた話ではないだろうか。過剰な電力消費は過剰な電磁波も生む。シールドをしようと思えば鉄で覆う必要がある。鉄で覆えば重くなりまた電気を使う。当初は軽さを追求するため強化プラスチックが車体に使われ、実験で磁界が切れる事故で炎上した。磁界切れを防ぐためにはまた電気がいるし、燃えない車体にすれば重くなるのでまた浮かせるために電気がいる。リニアは在来の鉄道で培った技術が応用できないまったく新しい技術なのだ。欠陥を過剰な電力でクリアすることができたとして、矛盾は残る。そもそもそんなエネルギー過多の技術が売りこめるのかという問いに戻る。
リニアの路線は86%が地下だ。南アルプスに限らずいくつもの活断層を横断していく。ずれが生じれば一発でアウトだ。トンネル内で立ち往生しても、南アルプス部分での非常口では最大370mの標高差がある。助かった最大1000人の乗客が3人程度の乗務員に誘導され、無事地上にたどりつけるのか。地上部分は、夏は洪水、冬は雪崩の巣になる山の中だ。
そんないくつもの問題点を登山の雑誌で指摘すると、JR東海の広報部から、1度目は13カ所、2度目は5カ所のクレームが入った。どうでもいい嫌がらせで、編集部にも複数人で押しかけて資料を置いていく。実際それで週刊朝日やスパなど週刊誌はリニアの記事をやらなくなり、書けなくなったフリーランスもいる。キオスクに置けなくなれば、というのはかなりのプレッシャーだろう。「資金が尽きたらJALのように税金が投入されかねない」と書いたら、自社負担でやるというのを聞いていないのか、と広報部から何度もクレームが入り、言い返すとまた絡んできて終わらない。実際は固定資産税を自分から無心して免除してもらっているし、財政投融資も拒否することもなく喜んでもらっている。プライドのかけらもない甘ったれ、かつ悪質な企業体質と言える。
南アルプスとリニア
そんな中、こういったフェアでない乗り物を消費者は選ぶべきではないと、登山者に呼びかけて反対アピール、ボイコット運動を始めた。わずか2カ月で1200人余が賛同署名を寄せてくれた。辺野古との共通点で言えば、山梨県側の建設を請け負うのは辺野古と同様大成建設だ。もともと日清日露戦争で明治政府に銃を売りさばき、財をなした大倉喜八郎が作ったのが大成建設だ。その際大倉は静岡県側の南アルプスの山林を買い取り、それが東海特種製紙の前身の会社だ。そこにリニアが通る。自分の土地をグチョグチョいじってれば金になる仕掛けだが、南アルプスは国立公園でもある。一私企業のいいようにしてみんなの財産を壊されてはたまらない。
ところが大規模な自然破壊が予想されるのに、アセス自体は3年もかけていない。国土交通省はJR東海のやることだからと安易に認可を出し、いまだに調査されていないところの調査をJR東海はやって辻褄を合わせている。住民への説明も、質問を一人3問に限り、時間内で打ち切るというやり方を認可前はしていて、住民の怒りを買っていた。今も「理解と同意を得る」と言いつつ、「理解したかどうかは事業者が決める」と横柄な態度で住民の怒りが募っている。協定も結びたがらない。そうしないとできない事業だし、裁判になれば負けるから、というのが地質学者の見解だった。
「止めないとたいへんなことになる」と反対する側は声を挙げているが、なかなか外には伝わらない。見過ごされがちな問題、どころか、国が沈むほどの大問題に運動が追いつかない、というのが実態だろう。すでに南アルプストンネルは山梨側では着工、長野側でもJRが着工に向けて強行姿勢を崩さない。にもかかわらず、出て来た排出度の置き場は長野県ではどこにも決まっていない、と穴が多い。この計画は、ぼくたちが声を挙げれば必ず止められる事業だ。しかし声を挙げなければ、原発同様悲惨な結果が待っているのも、知れば知るほどまた事実である。
(宗像充『沖縄の怒りと共に』98号)