「意に反してやるのはすまない」けど「賛成の意見もある」
JR東海が度々住民の理解と同意が得られないと事業は進められない、と過去発言してきたことに対する不信も噴出した。
一つは、口ではそう言いつつも実際には住民の意見は反映していないのは、住民軽視だという指摘。特に今回リニア路線の本体工事と、アクセス道路の整備の工事を切り離してJRが提示してきたことについて、既成事実の積み上げにほかならず住民として同意できないとの発言には、会場から拍手が出た。
住民の間ではアクセス道路の松川インター大鹿線の全線二車線化を求める声が強かったが、JRの工事は狭隘箇所を複数残している。それも全部するわけでもなく、改修工事が終わる前に、本体工事に入るのは容認できないというものだ。
これに対して沢田部長は、住民の「意に反してやることに対して申し訳ない」と述べ、また上野分室長も住民の意見を汲み取るために分室を作ったので住民軽視ではないと発言している。しかし一方で、「1000人いればそれぞれの思いがある」「期待されている声も聞く」「釜沢でも賛成反対がいる」とも言及した。
反対の意見を持つ人たちは、こういった発言にむしろ反発しただろうことは容易に想像できる。自分たちの事業そのものが意見の対立を生み出しているわけだから、むしろこういった発言は村民間の対立を煽る「ためにする」ものと言われても仕方がない。村民間が対立することで誰が得をするかと言えば、JRなわけだ。
沢田部長
説明会終了後、JRは記者には、賛成の立場から具体的な提案があったことをもって、「理解が進んだ」ことの根拠としていた。村民を対立させておいて、都合がいい意見だけを取り上げる、と言っているのと同じだ。
長野県の責任
この日は県の職員も来ていたので、松川インター大鹿線の改修について、狭隘部分の橋の架け替えをしなくては住民生活は守れないのだから、県はJRに押し切られずにきちんと行政指導をしろ、と意見が出ていた。発言した方は、当初は道路改修はJRが全額負担するという話だったのに、県税の投入もいつの間にかなされることになった点にも言及していた。
県は道路管理者として押し切られていない、と言ってはいた。押しきられていないというよりはむしろ、住民の要望よりもJRの意向を優先したという説明のほうが合っているかもしれない。
「理解と同意がないとできない」なんて言ってない?
では事務所を置いたJRは現場でどのような理解を求める取り組みをしているのだろうか。この日、リニア本坑の主要な工事現場となる釜沢の住民の一人が発言した。3月にJRと釜沢住民との個別の懇談会が開催され、その席でJRの大鹿事務所詰めの永田氏が「理解と同意」ということについて、JRとしては言っていないと言ったというのだ。
住民の同意がなければ工事は進められないとJRは言ってきたのに、個別の地区懇談会では別の説明をする。「どう信じていいのか、不安の闇の中に突き落とされる」感覚だったとみんなの前でしゃべっていた。
その点について、JRの沢田部長は、JR側の発言についていっさい釈明することはなく、結局、理解と同意については事業者側が責任をもって判断する、と述べるだけだった。JRが責任を持つのは地元の住民に対してではないと言っているのと同じだ。不安を解消するよりはもっと不安にしている。
この点について、終了後の囲み取材でJRの沢田部長に直接、そのような発言があったのかどうかについて確かめたところ、担当に聞かないとわからないとのことだった。住民との信頼関係上、こういった発言の有無を確かめるのは重要ではないか、と重ねて聞くと「ご意見として承っておく」とのことだった。そのようなウソの説明が仮に住民に対してなされたところで、問題ないというのがJRの公式見解ということになる。発言した釜沢住民に聞くと、記録があるとのことだった。
一方、発言が問題にされた永田氏は、囲み取材のやり取りを脇で聞いていた。
終了後に住民と話す永田さん
理解は進んだか
囲み取材では冒頭JRの沢田部長は「住民の理解は進んだ」と発言。住民からも計画の内容を踏まえての発言を出ていたことに言及して成果を強調した。
よっぽどそうは思えなかったのか、記者の一人から、「理解というのはunderstandという意味ですよね」と問い返す発言もあった。たしかにJRの計画は理解したけれど、だから同意できるかどうかは別次元だ。沢田部長は「共感という意味でも理解が進んだ」と強調した。
反対意見はなくならない、しかし総合判断で工事を始めるということはつまり「反対があっても最後は押し切るということでいいですよね」と囲みで、筆者は念を押した。沢田部長は「押し切る」という言葉使いはどうかと思うが、過去の公共事業の事例を挙げ、事業者側が最終判断するという立場は崩さなかった。
その点について「JRとしては今回の事業は公共事業という認識ですか」と改めて聞くと、「公共〈的〉事業です」と言い直していた。この辺に、JRの本音とお上意識の根拠が垣間見える。総合判断については記者の質問に「基準はない」と述べていたが、「公共的事業」なら説明責任は当然あるだろう。
なお、住民の何人かにその後JRが「理解は進んだと言っているが」と水を向けると、「そんなわけない」「JRのガス抜きに利用された」と言っていた。JRが「理解が進んだ」と言えば、住民の理解が進むのだろうか。やっぱりUnderstandできない。
(宗像 充)